私的蹴球論 13 頑張らないけど諦めない
今回は期せずして、自分のサポーター論になっているが、今回も個人的なサポーター論についていろいろ書き連ねていきたい。
冒頭のタイトルは長野の病院のリハビリ担当医師のモットーである。病気や怪我のリハビリというのは非常に気が遠くなるほどの地味にキツイことの闘いである。トーナメントの短期決戦というよりは、どうしても局地戦の負けも受け入れていかないといけないようなリーグ戦に近い。
そうした神経を擦り切れるような消耗戦。人間性を問われるような苦しみに直面する困難の連続。そうした過酷なリハビリという作業の中で編み出された言葉が冒頭の「頑張らないけど諦めない」である。
もちろん自分の身体が思うように動かないリハビリと娯楽であるスポーツ観戦を同列に置き換えてはいけないのはわかっている。
しかし筆者が長くサッカーのサポーターという活動を続けていくうえでチームが思い通りの結果があげられないというジレンマがあるときにいつもこの言葉を思い出すようにしている。
その一方である漫画家が
「私は頑張らない。できることをできる範囲でやる」
「頑張りすぎて体調を崩すのも、頑張りすぎてストレスをためるのも、すべて家庭に影響が出てしまうから」
「心身ともに健康でないと、他人に優しくできないのをよく知っている。独身時代は毎日頑張っててイライラしていた」
「頑張らなくていい環境をくれる旦那に感謝しつつ、私のできる時間すべてを旦那に使えたらうれしい」
とその漫画家の夫婦関係について頑張らないことの必要性を述べていた。
これらのことは一見するとサッカーと関係ないことのように思われるかもしれないが、実はサポーター論にも関係するのではないか?と思ってしまう。
何か一つの目的のために頑張る。一見すると非常に尊いように見えるかもしれないが、実際には頑張りすぎてしまうと自分と自分を闘わせてしまってそこで結果が出なくなってしまうと自分に壊滅的なダメージを与えてしまうことになりかねない。
本来、サッカーの応援というものは楽しいものでないといけないはずなのに、ストレスをためてしまうぐらいだったら本末転倒になるのでやめてしまったほうがいいくらいである。
だからサッカーの応援というのはできる範囲内で無理をしない程度の応援というのが結果的にサポーター稼業というのも長続きさせるので、サポーターもクラブもwin-winの関係になる。
ここ数回のブログでサポーターの応援というのは頑張りすぎないくらいがちょうどいいということを再三再四訴えてきた。
そしてそうしながらも自分の応援するクラブの昇格については諦めない。このくらい緩やかなスタンスでサッカーと向き合うくらいがちょうどいいように思える。
再三努力をすれば結果がついてくるのは漫画の世界だけだ。実際のサポーター稼業のほとんどは結果が伴わないものである。
そうした結果が伴わない苦しいジレンマがあるけど私は諦めないくらいのスタンスのほうがサポーターはちょうどいいのである。