私的スポーツビジネス論 3 スポーツビジネスの光と影
先日朝のラジオを聴いていたら、特集がスポーツビジネスについてであった。筆者もスポーツビジネスについては一家言ある。もともとそれを仕事にしたかった時期もあるくらいだった。
ただ自分も齢40になり、正直そんな夢みたいなことばかりも言っていられない。夢を見る前に現実に地に足をつけて将来のことを考えないといけない年にもなった。
そうした中で敢えてスポーツを仕事にすることについて考えてみよう。
正直のっけから身もふたもない発言になるがスポーツを仕事にするということは人生の選択肢に入れないほうがいい。
特にサッカー界で生きるということはかなりハイリスクノーリターンな環境と言わざるを得ない。
スポーツを仕事にするというのははっきり言ってメリットが少ないのだ。
一般企業のジャンルでそれなりの仕事をしている人が「給料は安くてもいいからサッカー界で働かせてくれ」というのは正直言ってやめたほうがいい。
なぜならサッカー界にはそんな安月給で自分から搾取されたがる人材というのはいくらでもいる。言葉は悪いが「お前の代わりはいくらでもいる」という労働力のコモディティ化が進むだけで、サッカー界の上の人間にあっという間になくなる若さという労働力をぼろぼろになるまで吸い取られて、あとは味のなくなったガムのように捨てられるのがおちだ。
話は脱線するがそうした意味でスポーツビジネスと芸能界を中心にしたショービジネスというのはよく似ている。
例を挙げると、
①娯楽で食っていきたい若者はいくらでもいるので、雇う側は「夢をカタチに」といって安価な労働力をいつでも調達できる。
②そのため体を酷使してブラックな環境で働いても「代わりはいくらでもいる」となる。
③スポーツの試合でも、舞台のスケジュールでも日程が決まったら親の死に目があっても休めない。
④スポーツ選手も女優やアイドルも人間である以上加齢はする。しかし30代に入ると途端に仕事が減る。すなわち30代という家族をもって一番金がかかる時期に収入が激減する。
⑤成績不振なら即解雇が当たり前。なので安定からは程遠い。
⑥娯楽産業は土日の仕事。そのため家族を持つと家族サービスも当然できない。
⑦クラブのスタッフは試合中忙し過ぎて試合を見ている暇がない。
今挙げた事例はスポーツビジネスのみならず他の娯楽産業にも共通する構造的な矛盾である。
筆者自身が若い頃もそうだったが、こうした芸事で身を立てるときのデメリットを学校や他の大人は教えない。今日本中に大学のスポーツビジネス学科はあるが、スポーツで身を立てるための巨大なリスクに対してちゃんと教えているようには見えない。
そうした中でのスポーツビジネスである。筆者にとって一番身近なサッカーという競技を中心としたスポーツビジネス書籍だと、モデルになっているのがレアルやバルサやマンUである。
正直言ってマンUやレアルがやっていることは欧州のビッグクラブというブランド力(りょく)によってなしていくのが可能なビジネスモデルなのだ。それを日本のサッカー文化が根付いていない地方都市のJ3のクラブのシャトルバスで30分にある陸上競技場のようなところで同じことをしてもうまくいくようには思えない。
自分もスポーツビジネスを追いかけて20年以上経つが今の日本のスポーツビジネスというのが何か表面的な本質をついていないまるで口当たりのいいことだけで一瞬読者を慰めて何の身にもなっていない自己啓発本のように見えてならない。
スポーツビジネスというのは楽しいだけの世界ではなく、むしろ一筋縄ではいかない魑魅魍魎が跋扈する魔窟なのである。