サッカー&バスケビジネスのブログ

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私的スポーツビジネス論 7 大船渡・佐々木朗希問題を想う・・・

このブログは基本的にサッカーとバスケのブログを書くことに努めているが、第三の分野としてスポーツビジネスの領域についても書くようにしている。

大船渡高校の佐々木朗希(ささき・ろうき)投手が高校野球の夏の岩手県大会で最後の夏に連投の疲労から決勝戦を登板せずに敗戦、というニュースがスポーツニュースを駆け巡った。

前述のとおりこの問題は本来の自分のブログのテーマではない。ゆえにむしろスルーすべき問題なのだが、日本のスポーツに対してこれほど重要な問題もないので例外的に自分の意見を書くようにしてみた。

結論から言って大船渡高校の國保陽平監督の采配には筆者は大賛成をする。

投手の高校時代からの登板過多からくる肘や肩の「勤続疲労」は昔から言われ続けてきたことだ。

自分の周りを見ても高校時代のクラスメートで千葉県大会2年連続ベスト8の立役者だった野球部のエースは高校卒業後に肘の故障で打者転向を余儀なくされそのまま引退した。

実家の向かいに住んでいる県立高校のエースだった野球部の子も過密日程で4日間で3試合を投げて肘を壊した。恐らくこのブログを読んでいる野球好きがいるなら、こんな話はごまんとあるだろう。

正直に言って今の高校野球は日程の組み方が異常だ。甲子園は夏の風物詩でドラマがある、と言っても身体を壊した野球部員の治療費を野球ファンやマスコミがカンパしたという話など聞いたことがない。

高校野球で無理な日程で投げ込み、プロになっても無理な日程で投げ込み、メジャーに言ったら勤続疲労で大枚はたいて勝った投手が使い物にならない、というのでは甲子園という大会が既得権益者とオールドのファンの私物化にしか見えない。

以前、このブログで「学校の主人公は学生。競技の主人公は選手」という日本社会でいわゆるプレーヤーズファーストが成立してないことをしてきしたが、現代の野球も国際大会やメジャーリーグというものが一般的になり、投手の肘や肩というものが消耗品という考え方が定着し、高校を卒業しても独立リーグや社会人野球、大学野球と野球を続ける選択肢は増え続けていって、必ずしも高校野球が終わることが現役時代の終了という時代でもなくなってきた。それだけ社会情勢や価値観は急激に変化していった。

問題は平成も終わり令和に入り、それだけ野球を取り巻く環境が急激に変化していっているのに、高校野球を管理している高野連の思考は旧態依然の昭和で止まっていることにある。

個人的な見解でいえば高校野球がリーグ戦になっても、そうした中でのドラマ性というのはまた別の形で生まれてくると筆者は推測する。

昭和の価値観で止まっている野球関係者は時代も令和になって、野球選手という財産も希少価値があり、昔みたいに使い捨て出来なくなってきた。そうしたうえで令和の時代に適した野球の在り方を考えていくべきである。