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私的スポーツビジネス論 55 GMも演劇部の部長も一緒だ

このブログはアフリエイト広告が掲載されています。先日「幸福のヒント」(鴻上尚史著・2018年・だいわ文庫)という本を読んだ。その本の中で著者で劇団の座長を務める鴻上尚史が劇団の座長の仕事について述べる話があった。かいつまんで説明するとこういうことである。

「自分は中学2年生のころ演劇部の部長という立場に憧れていて、自分が部長になれたらと想像しているだけでうっとりしていました」

「周囲はそんな自分の考えに気づいていたようで『鴻上は部長の器じゃないよ』といい、自分はその都度憤慨します」

「しかし中学3年生になって演劇部の部長という立場の大変さがだんだん分かってきました」

「やる気のない部員をたきつけ、反抗的な部員をまとめ、仲の悪い同士を仲良くさせ、作品を選び、稽古の計画を考え……」

「そういう部長の苦労が分かってくると『部長なんて大変だ。部長なんてやるものではない』と思うようになってきます」

「すると周囲からは『鴻上こそ部長にふさわしい』といわれるようになりました」

「この構図は劇団の座長になっても、演出家になっても一緒です。どれだけ熱望してもなれなかったのに……」

「結局大きな仕事に憧れているうちは、大きな仕事は絶対にできないのです。その仕事の大変さが分かってようやくその仕事をするチャンスが巡ってくるのです」

鴻上氏は自身の著書の中でこうしたことを言っていた。

筆者自身このくだりを見て、自分は演劇のことなんかはさっぱりわからないが、スポーツチームのGMと演劇部の部長というのは共通項があるということである。

ひとつは本にあるとおりにその仕事に憧れているうちには、重要な仕事というのは任せてもらえないということ。

自分もスポーツチームのGMという大きな仕事の長い間憧れていたし、今でもこうしたスポーツビジネスのブログを書いているという意味では、潜在的にそうした世界にどこかしら執着しているのかもしれない。

しかし一般企業での出世という意味でも同じであるのだが,出世したいと思っているうちには絶対出世できないと思っていて間違いないように思える。物事にはいいところと悪いところがある。収入があって地位名誉がある仕事というのは、それだけ責任も重いということである。フランス語で言う「ノブリス・オブリージュ(地位が高い人間にはそれ相応の責任がある)」というものがそれにあたる。

もう一つGMと演劇部の部長で共通するのが「集団をまとめ上げ一つのチームにする難しさ」である。

前述の演劇部の部長の「やる気のない部員をたきつけ……」ではないが、スポーツチームでも三顧の礼で招聘した監督を自分たちで首切りしたり、試合に出られない選手に不平不満を出さないように目をかけたり、それでも出場機会のない選手の移籍先を探したり、スポンサーを探したり、成績不振なら怒り狂う熱狂的なファンの前で試合後夜通し説明したり、年俸交渉でカネでごねる選手に辟易したり、選手の不祥事に謝罪したり、最近では筆者自身「GMなんて大変だ。やらないほうがいい」と思うようになってきたのは事実である。集団をまとめ上げて、ラグビーではないがONE TEAMにする難しさというのはどの分野でも共通する困難であることは分かった。フロント・選手・指導者・ファン・裏方……。全部が一体にならないと素晴らしいものは生まれないことに気づいた。

GMをやらないほうがいいときづいたところで、スポーツビジネスの仕事に近づいてきているわけではないのだが、今のほうが客観的にスポーツビジネスを見られていて、プロスポーツを見るのは若いころより今のほうが格段に楽しいというのは断言できる。

今回は一見すると演劇とプロスポーツという関係ないような二つの世界も、実は共通する難しさがあるということが分かった。今はスポーツビジネスには入れない。自分自身が集団をまとめ上げられるような人間になれるまでは……。