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私的蹴球論 9 サポーターとアイドルの文化論

先日、と言ってもだいぶ前だが2019年1月のアジアカップの時、あるサッカーライターのツイートでなるほどな、と思わされるつぶやきがあった。

「1998年のW杯フランス大会での韓国代表のサポーター集団が印象的であった」

「銅鑼(どら)た太鼓をどんどん叩きまくって韓国独特の濃厚でエネルギッシュな応援スタイルのインパクトが強烈だったのをおぼえている。正直垢ぬけなくてダサかったけど、独特の恐怖感と魅力があって、個人的にはあの頃の韓国の応援に惹かれていた」

「しかし日韓大会あたりから韓国代表の応援は急速に洗練されて行って、2010年代くらいになったらACLの韓国クラブの応援はみんなJのパクリ」

「たしかに格好よくはなっているけどそうじゃねーだろ!といいたい」

とあった。

筆者も日韓W杯前から韓国という国を見ていたのでこのライターの言わんとすることはよくわかる。よくグアルディオラ以降、世界中でサッカーのバルセロナ化が進んだといわれるが、サポーターも同じで、Jリーグというものが発足して、それまで特殊なスポーツ文化しかなかったアジアにJリーグのサポーター化というのが、良くも悪くも広がり、それが洗練されたカルチャーとして伝播していった一方で、アジアのスポーツ文化の無味無臭な画一化も同時に引き起こした。

翻って日本国内である。いわずと知れたJリーグのお膝元だ。ある名物サポーターが東北のJ3のクラブのサポと飲んでいて、ぼそりとつぶやいていた。

「(飲む前に地元のお祭りを見ていたのだが)あのお祭りの鐘の音をゴールが決まった時のチャントにすればいいじゃん」

「J2の徳島もゴールの時に阿波踊りのチャントをやっているけど、負けた側からすると、こういうのが一番キツイ」

「下部リーグももっと地域色を出していったほうがいい」

とあった。

最初の韓国のサポーター論にもつながっていくのだが、サッカーというスポーツが国内外問わずグローバル化していく流れが加速していく一方で、韓国でも日本国内でもフォーマットを決めつけすぎないような寛容さのある多種多様なサポーター文化というものの方が、巡りめぐって応援をやっている側もそれを見ている側も楽しいと思うし、結局のところサッカーで大事なのは結果よりもその時その時の観戦が楽しかったかどうかである。

例えば、アイドルを見ていても今の娘たちは美人というフォーマットが固定されて、こうした顔のパーツをしていないと認めない、みたいな狭量な部分を感じている。アイドル自体は十分すぎるくらい美人で魅力的なのだが、なんか見分けがつかない気がする。そうした顔のパーツをしていなくても十分クォリティーの高い女性はたくさんいるのに、ファン自体が自分たちで視野狭窄している風にみえる。

サッカーのサポーターも同じでJリーグ本部からの規制で正しい応援はこうです、これ以外の応援は認めない、みたいなネット上のバッシングからの恐怖からか無意味な規制強化がJリーグの応援をつまらなくしている。

サッカーでも他の娯楽でも楽しみというのは本来もっと自由なものである。自分たちの働く世界や楽しみの世界が息苦しいのは実は自分たちが自分の首を絞めているからかもしれない。

女性でもサッカーでも上からのプロパガンダが必ずしも正しいとは限らない。自分なりの方法論を模索しよう。