私的スポーツビジネス論 56 縁 東京五輪編
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このブログを書いているときは、東京五輪も中盤戦に差し掛かって、メダルラッシュに拍車がかかっているようであるが、今回はブログのタイトルにあるように「縁」にフォーカスを当てていきたい。
筆者は再三このブログで言い続けていることであるが、人生というのは縁で構成されていると思っている。
縁があるときは縁があって、縁がない時は縁はない。縁がないものを無理やり縁を結び付けようと思っても無理が生じてしまい、結果的に歪みが生じてしまう。人生とはそういうものである。
今回の東京五輪についても地元開催で、自分の自宅と目と鼻の先の会場で試合がやっているのにコロナ化で無観客での試合で試合の生観戦というのは最終的にできなかった。それは筆者に限らずすべての人が同じであるであろう。
実際に縁というものは得てしてそういうものである。東京開催のスポーツイベントといえば2002年のW杯日韓大会というのは、地元開催で本来なら見る機会というのはたくさんあったはずだ。
しかし筆者は当時やっていた仕事が忙しくて全く見る機会がなかった。
逆に200年のドイツ大会や2010年の南アフリカ大会というのは時間があってテレビ観戦ながらじっくり批評することができた。本来だったら時差がある上に平日であるので見られないことが当たり前なはずなのに、あっさり見られる機会に恵まれた。縁というものは得てしてそういうものである。
何度も繰り返すようであるがどれだけ距離的に近くで休みの日があって、チケットを持っていたとしてもコロナ化で試合は観戦できないという理不尽なくらい縁がない日本のスポーツファンというのはこの国に多数いると思う。
しかし縁というのは得てしてそういうものである。筆者自身無理やり適性のないボクサーになろうとして結果的にボクサーには縁がなかった。しかしボクシング以外にももっと楽しいものがあってと思うのでボクシングで学んだものは縁がなかったものに無理やり縋り付かないほうがいいということである。
実際東京五輪ではないが筆者自身今年(2021年)ジェフ千葉の試合が5試合見られた。周囲のJリーグやプロ野球ファンは年単位でスポーツ観戦できていない環境を考えてみると、筆者の立場がうらやましくて仕方ないという人は多いかもしれない。
五輪に関しても同じ事を考えてしまう。どれだけこのスポーツイベントに行きたい。恋焦がれるように近づきたいと思っても、会えない時は会えない。行けない時はいけない。それが縁というものである。そういう時は筆者自身さっぱり諦めて次のスポーツイベントに標準を絞ったほうが賢明であると思える。
何度も繰り返すが同じ東京という町で行われている、しかも時差のない東京五輪でも生観戦には縁がないという結果だった。どれだけ恋焦がれても縁がない時は縁がない。そういう運命であったと受け入れるしかいのである。