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私的蹴球論 11 私は頑張らないサポーター

のっけから無気力な奴だなと思われるタイトルであるが、ちゃんと意味があるのでとりあえずご清聴願いたい。

いきなり「頑張らない」とあるが、筆者はできるだけサッカーで20年来サポーターをしているジェフ千葉のサポーターを頑張らないようにしようと、サッカー観戦をするときに考えるようになった。それはなぜか?

自分の話になるが筆者は子供の頃に高校野球に、若い頃にボクシングに出る側として、30代前半にはボクシングを見る側として異常なまでにハマっていた時期があった。

これらの時期はとにかくそれぞれのジャンルのことしか考えられず、寝ても覚めても高校野球(ボクシング)という今思えば若気の至りのような極端な考え方にとらわれていた。

昔そうしてボクシングにのめりこんでいった時期にあるボクシングジムの会長が「ボクシングを上達させたいのだったらボクシングの虫になればいい」と言っていたので、読む雑誌はボクシング専門誌だけ(当時はスマホなんてなかった)、文字通りボクシングジャンキーを地で行く狂った生活をしていた。

結果的にそうした生活をして強くなれたかと言えば、答えはNOである。全く強くはなれず、最終的に筆者はプロになれないまま現役を終えた。

そうしたこうしたうえで色々な縁があってサッカーのある生活をするようになる。いまのプライベートな生活の部分のほとんどがサッカー中心の生活になっているが、その一方で筆者は前述の通り、過去3回のめり込み過ぎて失敗した経験を持つ。正直これ以上同じ失敗を繰り返したくはない。もしやったら自分はただのバカである。

実際のところ寝ても覚めても同じことしか考えられない人間というのは、周囲を俯瞰的に見渡すことができなくて、全体像をとらえられずに結果として自滅する。前述のボクシングジムの会長もジム自体は閉鎖の憂き目にあった。

そうした過去の失敗を踏まえたうえでのサッカーである。繰り返すが今の自分の生活の中心はサッカーであるが、その一方でサッカーがない生活になってもそれはそれでいいし、もしボクシングの時と同じ過ちをこの先犯すのなら自分はサッカーから足を洗うつもりである。

こうした考え持ったまま以前あるサッカー系の飲み会に参加したことがあったが、とあるクラブのサポーターが手帳を見せて「僕はこの日に鳥栖に行って、この日に神戸に行って、この日に仙台にいくんです!」とドヤ顔で自身の予定を周囲に伝えた。

そのサポーターの姿を見て筆者は「おまえは60歳になっても70歳になっても今と同じことをやれるとおもっているのか?」と突っ込みたかった。

そのサポーターが普段余暇の時間をどう使おうが個人の自由である。しかし自身の過去の失敗からそうした白か黒かのゼロサム的な努力というのはたいてい意味がないし近視眼的になって過剰な努力の割には理解度が低いのも経験済みである。

こうした極端な頑張りというのは無意味なだけでなく周囲の人間にも迷惑もかける。そうした自戒の意味も込めて自分は「頑張らないサポーター」になろうとしているのである。