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私的スポーツビジネス論 5 学校の主人公は学生。競技の主人公は選手。

筆者も他のブログサービスの頃からスポーツビジネスのブログを書いていて、随分と月日が経つ。当たり前の話になるが、スポーツという世界において、その主人公は選手である。そんなことは当然である。

しかしながら今の世の中スポーツという健全な形ではっきり白黒つくようなわかりやすさで若者に支持をされるような娯楽が(自分も若くないが)スポーツを利用してうまみを吸っている老人に利用されているように見える。

そんな中で冒頭のタイトルである「学校の主人公は学生。競技の主人公は選手。」であるが、日本の教育産業も本来の趣旨から外れた偏差値教育によって学校の主人公が有名予備校の教師や学校の教職を非正規雇用にして利益を貪る学校法人が中心になっているような気がする。

しかし、ここではっきりと言っておきたいのは学校の主人公はその学校の在校生であって、どれだけ有名な大学教授や卒業生がいても、あくまで中心は学校で勉強している生徒である。そうした本質を日本人はうやむやにしがちだ。

筆者はよくグラフやデータを見ることが好きなのだが、興味深いデータを紹介する。

厚生労働省が毎年発表する人口動態統計というデータがある。これは毎年生まれた出生数(つまり赤ん坊)の人数を発表しているのだが、少しこのデータを見てみたい。

1949年生まれが2696638人、第二次ベビーブームのピークで先日引退したイチローが生まれた年である1973年生まれは2091983人とこのじきは軒並み出生数は高水準である(例外的に干支で親を食い殺すという丙午の1966年だけが1360974人と低水準だ)。

そして筆者が生まれた1978年生まれが1708643人なのに対して、1984年生まれは1489780人、1990年は1221585人。

1998年生まれは1203147人、久保建英が生まれた2001年が1170662人。そして出生率が1.26まで落ちて社会保障の危機と言われた2005年は1062530人。2016年にはとうとう100万にを割って976979人。そして昨年2018年は概算値で921000人とある。

つまり何が言いたいのかと言えば、学校というものが学校で権威として機能していたのは学生の絶対数が確保できていてはじめてその影響力も誇示できた。スポーツも然り。野球であれサッカーであれバスケであれ、協会の実力者と傲慢な態度をとっていても、競技人口が減少してしまえばその影響力も次第に減少していくのは自明の理だ。

学校は親は子供がかわいいと思うから学校に無尽蔵に金を支払うと思っているのかもしれない。しかし親世代の給与水準の低下によって子供を持つのを諦め、結果として学校自身が自身の影響力を削いでしまったとしたら、高額な授業料も本末転倒である。

スポーツに対しても同じである。親世代に無償の愛を求めてその一方でスポーツで大事なのは結果だと血のにじむような努力をばっさり切り捨てる。そうして結果的にスポーツをするのを諦める子が増え、競技人口が減るとしたらこれほど滑稽なことはない。

今、自分もいい年になって子供について考えることは多々ある。この人口動態統計のデータを使ったスポーツビジネス論についてはほかにも書きたいことがあるのでまたその時に発表する。

しかし日本人は学校の人間もスポーツの人間(マスコミ含む)も冒頭のタイトルのことを忘れている。学校の主人公は学生であり、競技の主人公は選手である。