私的蹴球論 34 もう元には戻れない
先日実に7か月ぶりにサッカー場へ足を運んだ。その前に行ったのが2月だからサッカー場に行けなくなってずいぶん経つことになる。
コロナがあった後のサッカー場というのはコロナ前とは別のものだ。そうやってサッカーメディアにはたくさん聞かされていた。
しかし活字で会場の雰囲気が変わったといわれても正直ピンとこない部分があったのも事実。本当に変わったのかと勘ぐってしまっている自分がいたのも正直なところであった。
しかし会場に来てみれば一目瞭然だった。もともとなでしこの試合を見に行って人気のあるカードではないというのはわかっていたが、サッカー会場なのに応援で発せられる音が何もない。そのため選手や監督の声がびっくりするほど通る。
会場で見ているファンもできうる限り声を発することは避けてくれというお達しのために、試合をじっくりと凝視しているような雰囲気で、何か不思議な感覚の試合観戦であった。
それまでも筆者はなでしこの試合を年1回は見ていたので一般のサッカーファンよりは知っているつもりでもあったが、少なくとも今までのサッカー観戦のマナーや価値観というものが、色々な意味で全部壊されてしまったような感覚であった。
そして個人的なことで恐縮であるが、自分自身の内面にも変化が生じていた。それまでは自分のひいきのチームの応援ではワンプレーワンプレーに異様なまでの集中力を使って試合内容にも結果にも執着して観戦していた。
しかし今では試合の内容も結果も意識していないわけではなかったが、どこか自分後のの意識から距離をとって傍観者になったような気分で試合を眺めている自分がいたことに愕然としてしまった。
サッカー界も試合会場も自分自身もコロナによって何かが破壊されて、また別の何かが創造されていくような不思議な感覚でその日のなでしこの試合を眺めていた。
その一方で脱線した話になるが、傍観者として試合を眺めているほうが選手の動きやチームの全体像はよく把握できていたようにも見えた。
コロナの前が良いのかコロナの後が良いのか自分でもわからない。ただひとつだけ言えることとしてはもうコロナの前の世界観にはサッカー界も自分自身も戻れないという事実である。それだけは確かだ。
これから自分にできることといえば、アフターコロナの時代にも適応したサッカー観戦をできるようにして、コロナの前よりもコロナの後の自分のほうがいいと思えるような価値観をサッカーでもほかのスポーツでも一般生活でも構築していくことである。
筆者は「あの頃はよかった」と繰り言をつぶやく爺さんが嫌いで、コロナに限らず「今日が人生で一番充実した日だ」と毎日言えるような人生を送りたいのである。
確かにもコロナの前のサッカー界はなんだかんだで問題もあったけど充実はしていた。