サッカー&バスケビジネスのブログ

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私的籠球論 5 1992年のバスケット

筆者も気づいたらアラフォー世代で不惑を過ぎたはずなのに、大方の予想通りに惑いっぱなしのおっさんをやっている。このブログを読んでくれている人が果たしてどれだけいるのかはわからないが、筆者としては昔はバスケットには全く興味はなく(未だにルールをちゃんと把握していない)、今までのネタを見てみると分かるかもしれないが昔はボクシングや柔道といったゴリゴリの格闘技路線の人間であった。

今の若い子にはわからないかもしれないが昔の漫画雑誌というのはある意味において聖域のような存在で、学校に持ち込んでは教師に怒られて、取り上げられるというのが日本中の中学高校で日常茶飯事にあったことであった。

そんなスマホどころかネットも存在していなかった1990年代の初頭、当時はサッカーのW杯も出場していないどころかJリーグすらなくて(発足は1993年)日本の娯楽と言えばプロ野球しかなく、しかもほとんどは巨人ファンという時代。

そうした日本人の価値観か単一化されていた時代に急速に普及したのが前述の中学生や高校生に聖書として拝められていた「週刊少年ジャンプ」のバスケット漫画「SLAM DUNK」。この漫画が1991年に連載開始されたときに日本は一大現象が起こった。

それまでだれも見向きもしなかったバスケットという競技がこの漫画によってまるで導火線に火についたように爆発し、今でいうツイッターの拡散なんて比較にならないくらい日本中の津々浦々にバスケットブームが浸透した。

いきなり日本各地の学校でバスケ部員が激増し、みんなナイキのエアジョーダンを履いている。SLAM DUNKでもあったが、ジョーダンのバッシュのコレクターも普通にいて、エアマックス狩りと言って、レアもののバッシュの盗難事件まで頻発した。

自分はこの時前述の通り格闘技路線で柔道部物語やはじめの一歩のほうが好きであったのでバスケットは学校の体育くらいしか関わらなかったが、当時のバスケットブームというのはちょっと怖さを感じたくらいである。

そんなバスケットブームに追い風が吹いたのが1992年のバルセロナ五輪の男子バスケットアメリカ代表のドリームチームの結成である。

それまでアマチュアイズムがあった五輪にプロが解禁され、マイケル・ジョーダンを中心としたNBAのトップ選手の五輪出場が可能となり、その過熱ぶりは日本にまで飛び火して、日本のバスケットブームは頂点となった。

しかしバルセロナ五輪も終わり、SLAM DUNKの連載も1996年に終了すると、サッカーになった。あれだけの熱狂もあっさり冷めてしまい、野球の対抗軸はバスケットではなくプロ化に成功し、海外進出にも成功したサッカーになった。 

そうした中で日本のバスケットというのは、その後15年間ずっと日陰者の扱いを受けてしまう羽目になる。日本のバスケットが再び日の目を見るのは2016年の統一プロリーグであるBリーグまで待たないといけない。

今回はバスケシーズンが始まったことを受け、少しノスタルジーなネタを書いてしまった。あの時の日本のバスケットブームとはいったい何だったのだろうと、今Bリーグのコートを見ていると考えてしまう昨今である。