私的スポーツビジネス論 18 井上尚弥の後継者
基本的にこのブログはサッカーとバスケットのブログであり、ボクシングをメインには考えてはいない。また基本的に物事のネガティヴな要素を排除して、ポジティヴな要素をできるだけ抽出して書くようにしている。しかし今回のブログはボクシング界のネガティヴな部分が出てしまう記事になってしまうことを先に詫びておきたい。
昨日(2019年11月7日)に日本ボクシング界のエースである井上尚弥がフィリピンのノニト・ドネアを下して、バンタム級最強の称号を手にした。
試合を見た人間からすれば感動的な戦いであったという。しかし筆者はこの試合をテレビ中継すらしてしない。ヤフーのニュースサイトからの伝聞だけである。
試合観戦していない人間が今回の記事を書いていいのか?コタツ記事にすらなってないじゃないか?という意見もあるであろう。
しかし個人的にはボクシングの記事を書くのにある意味試合観戦なんてものは無用の長物以外の何物でもないのである。とりあえず先を続けたい。
今回の冒頭のタイトルにある「井上尚弥の後継者」という存在である。それは誰なのか?という話だ。
結論から先に言えば「そんなボクサーなんて存在しない」のだ。
それは井上尚弥が唯一無二の存在だ、というきれいな理由ではない。確かに井上尚弥は不世出の存在だ。
しかしバンタム級のボクサーだけで言っても日本に名王者は多数存在する。古くはファイティング原田から、だいぶ空白期間はできるものの辰吉丈一郎、薬師寺保栄、西岡利晃、長谷川穂積、山中慎介と古くから日本のバンタム級というのはエデル・ジョフレのことを指す「黄金のバンタム級」という言葉通り、名王者とそのライバルが生まれる選手層の厚い階級なのである。
フライ級では選手層が薄すぎて世界にアピールできない。フェザー級では欧米のトップ選手の選手層が厚すぎて日本人は実力でも金銭面でも太刀打ちできない。
だからこそ日本のバンタム級というのは世界戦をするうえでも一番アツい階級なのである。
しかし、そんなバンタム級の井上尚弥に続く存在が日本で生まれるのか?という話だが、それは前述のように存在しないのである。
21世紀のバンタム級の名勝負に冷や水をぶっかけるようなことを言って楽しいのか?という話だが現実にはいないのだからしょうがない。
理由は何なのか?という話だがそれは「日本のボクシングマーケットの破綻」に他ならない。
というのも、近年日本のボクシング界はお金が集まらなくなってきている。後楽園ホールのボクシング興行もチケット代が5000円もして古くからのファンにそっぽを向かれているし、ボクシング統括団体も暫定タイトルの乱立でこれまたファンは興ざめ。
さらに追い打ちをかけるようにボクシングの花形である世界タイトルマッチを下支えしてきたテレビ局の放映権料もテレビ離れで期待できなくなってきて、日本のボクサーは2010年代中ごろから国内で世界戦ができなくなって、海外のボクシング強豪国や新興国でのいわゆる「敵地挑戦」が増えてきた。
今の日本のボクシング界は1990年代の韓国ボクシング界によく似ている。
どういうことかと言えば、1980年代のボクシング界は日本人ボクサーの壁として高くそびえたち、世界挑戦できるかどうかの判別するような存在だった。
そして1988年のソウル五輪で国威高揚としてボクシングを奨励し、韓国のボクシング熱は頂点に達していた。
しかしある意味、ソウル五輪が韓国ボクシング界にとって「終わりの始まり」であった。
1990年代の韓国ボクシング界は今の日本ボクシング界のようにたたき上げのボクサーはすでにほとんどおらず、一部の特殊なボクシングエリートがプロ転向していた、いわば「過去の貯金を食いつぶす」状態になっていた。
その後の韓国ボクシング界は悲惨なものであった。急激な競技人口の減少に加えて、1997年のIMFショックで韓国経済はプロスポーツどころではない瀕死の状態になり、当然ボクシング界もほとんど選手がいない素人同然の体たらくなった。
そんな韓国ボクシング界を日本のボクシング界は東洋ランキングを食い物にするだけに利用していった。
かつての韓国がそうであったように今後の日本のボクシング界もまた、今後中国や他のボクシング新興国の食い物になるのであろう。
井上尚弥にしてもバンタム級では最強かもしれないが、かつてのライバルであったローマン・ゴンサレスのように階級を上げてしまえば、二流の選手に苦杯を喫してしまうかもしれない。筆者自身そんな軽量級ボクサーはいくらでも見てきた。
ある意味においてこの試合の井上尚弥というのが、日本のボクシング界にとっての「終わりの始まり」なのかもしれない。
井上尚弥の次の選手が生まれるのか(筆者はそんな選手が今のボクシング界に生まれないお思っている)、日本のボクシング界は今後どうなるのか?それは神のみぞ知る。