サッカー&バスケビジネスのブログ

サッカー(ジェフ)やバスケット(SR渋谷)、スポーツビジネスについてのブログ

私的スポーツビジネス論 9 飯を作る。飯を食う。皿を洗う。

冒頭のタイトルを読んで何のことだかさっぱりわからないと思う人がほとんどであろうが、ちゃんと意味があるのでこれから説明したい。

個人的にこのブログはスポーツビジネスのブログなのだが、持論でもあるのだがスポーツビジネスというのはある意味において、レストランの経営に似ていると思っている。

どういうことかと言えば、レストランで働く、ないしは厨房でコックになるということはスポーツチームにおける監督になることに近い。

もっと言えばレストランでの材料の仕入れやそこで働く人材を採用する仕事というのがスポーツチームでは選手を獲得したり、グラウンドなどのチームの活動の整備をするGM(ゼネラル・マネージャー)になる。

筆者も最初はスポーツビジネスの世界に飛び込んでみたかった。

しかしコックやパティシエになるにも最初から盛り付けといった派手な仕事を任せてもらえるはずのもないのと同に、スポーツチームの運営にしても最初からチームの編成といった花形の業務を任されることはない(そもそも自分はスポーツチームで働いたことはないのだが)。

それはレストランにかかわるといえば、冒頭のタイトルで言うと「皿を洗う」仕事からスポーツビジネスもスタートするのであろう。

そうして地味な仕事を繰り返して、徐々に仕入れや簡単な調理といったやりがいのある仕事のチャンスが回ってきて、試行錯誤を繰り返しながらコツコツロ力を繰り返して、ようやく一つのレストランを仕切ることができるようになる。これが冒頭のタイトルで言えば「飯を作る」仕事だ。

しかし皿を洗う仕事から飯を作る仕事まで行きつくには多くの落伍者が生まれ、みんながその仕事に就けるというわけではない。

スポーツビジネスのフロントも同様でチームの内部に入り込めても、雑用から花形である編成にまで行きつくには多くの墓標を生み出すことになるであろう。

それに関連して言えることであるが、世の中に「飯を作る」「皿を洗う」という仕事は成立しても「飯を食う」という仕事は成立しない、ということもある。

ネットが普及する前だったら、権威ぶった人間がうまいだのまずいだの言ってそれを啓蒙だと言い張ったり、雑誌の記事で客を集めるという「飯を食べる」ということが、仕事になった時代もかつてはあったかもしれない。

しかしネットが普及して一般人の舌も肥えたうえに、そうした味の論評も気軽にできるようになった現在では味の論評を飯のタネにする「飯を食う」ことはすでに不可能だ。

同様にかつてならスポーツ紙や雑誌なので試合を論評するといったスポーツにおける「飯を食う」仕事もかつては可能であったが、ネットで良くも悪くも批判が可能になった現在ではそうした試合の批評をするという仕事ももはや成立しなくなっている。

今回はスポーツビジネスをレストラン経営に例えて考えてみたが、スポーツビジネスに興味がある人もそうした夢の世界の足元について考えてみてはいかかであろうか?