サッカー&バスケビジネスのブログ

サッカー(ジェフ)やバスケット(SR渋谷)、スポーツビジネスについてのブログ

私的蹴球論 10 ブルデューの文化資本とサッカー

今回のブログを読んだ人には何のことだかさっぱりわからないと思われそうだが、ちゃんと意味があるのでご清聴願いたい。

ブルデューというのは、本名ピエール・ブルデュー(1930~2002)。フランスの社会学者である。 

ブルデューは自身の著書「ディスタンクシオン」の中で、「人間が社会生活を営むうえで、有益になるのはお金だけでではなく、知識や習慣・人間関係・趣味もその人の立場に利益や不利益を与える」と述べた。こうした考えをブルデューは「文化資本」と呼んだ。

たとえてみればこうである。クラシック音楽というのは正統な文化として今日において市民権を有している。そうしたクラシック音楽を鑑賞する趣味を持っている家庭ないし個人というのは、そうした趣味を持つのに博識な教養が必要なので、その人の持つクラシック音楽の知識や経験というのはお金では換算されないが有益な財産としてその人の中に存在する。

そうした不可算な価値というのをブルデューは「文化資本」と呼び、人というのは短期間に経済的に裕福になってもこうした博識な趣味に対する考察というのは長い時間をかけて無意識に蓄積されると説き(これを「貴族のハビトゥス」という)、こうした知的で高尚な考えや佇まいというのは短期間で財を成したような人間には身につかない、と言及した。

今回の話を聞いて読者が「サッカーとそれが何の関係がある?」と思うかもしれない。でもこのブルデューの考えは現代サッカーにも繋がるモノがある。

このブログでもある程度書いていることであるが、インターネットで財を成した人間がその巨万の富を使ってサッカービジネスに参入するという話は洋の東西問わず多い。

そうした中において欧州で活躍する有名なサッカー選手を買うという発想になっていく。

しかし欧州で名を馳せた名称イビチャ・オシムはこう述べる。

「クライフの時代からの数十年間、さらにそれ以前の、100年にもおよぶクラブの歴史と、その間に培われた彼らのサッカー哲学は、決して金では買えない。その歴史や哲学を金で買うというのは、ふたつの世界大戦やスペイン内戦までも金で買うことになるのだから。そんなことは不可能だ。」

「すべてを金で買おうとする風潮は、私にはとても残念だ。」

残念ながら今のサッカー界の有名な選手や監督を買うという風潮というのは、先のブルデュー文化資本というものが日本のサッカークラブの経営者にはまだ備わってはおらず、文化や歴史というものが金で買えるという思考が蔓延しているのかもしれない。

今回は高名な社会学者とサッカー監督の言葉から現代サッカーに対する警鐘を鳴らしたが、おそらくサッカー界もこの先、こうした流れは続くであろう。