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私的蹴球論 4 久保建英という宝物の扱い方

先日(2019年5月23日)のニュースで、日本サッカー界の至宝である久保建英が若干17歳ながら、飛び級でのA代表に召集された。

久保の才能に関して言えば今更このブログで言わなくても人口に膾炙されている。

そんな日本の期待を一身に受けて闘う若武者。個人的に見たのは2回あるが、2回とも異次元の領域であった。

1回目は西が丘のJ3時代にマルセイユルーレットかましてみた時であり、2回目は秩父宮ルヴァン杯プレースキッカーを務めた時でゴールは決められなかったものの会場のざわつきは尋常ではなかった。

世界中のサッカーファンの憧れであるFCバルセロナの下部組織でそだち、現代サッカーの手本となるポゼッションサッカーの何たるかを最も知っている存在。それが久保建英だった。

そんな久保に対して感じることがある。それは久保当人に対してではなく、マスコミに対してである。

久保のコメントに関してみると大人だな、というのが第一印象だ。おそらく天才少年と世間の目に晒されてきて、インタビュー術も長けている。頭の回転もいいし、活舌も並の40代よりよっぽど弁が立つ。そうした早熟な才能はマスコミにとっては楽にニュースになるので色々な意味で重宝するであろう。この代表招集のニュースに飛びつくなというのが無理な話だ。

だからこそ思うのが久保のピークが今になってもらいたくないということである。

今、サッカーファンにとって最も注目されているサッカー漫画「アオアシ」で主人公青井葦人のユースチームに引っ張ってきた元トップ選手の福田達也監督は自身も大怪我で選手生命を絶たれた経験から若い選手に、「頼むから怪我だけはしないでくれ」と懇願するシーンがある。

女子アナや女優の世界もそうだし、同じスポーツなら甲子園もそうだが、期待の新星と謳われながら、その才能を怪我や不調から開花できずに終わった存在がどれだけいたことか。

今日たまたまプロ野球の本を読んでいたが、そこで出ていたのがPL学園時代の清原和博である。清原も今でこそ失墜してしまったが、高校時代は全国大会なのに29-7の試合をやるような打線の主軸を1年生で打っていたり、ドラフトでは憧れの巨人には入れなかったが、契約金8000万円を18歳で手にして西武に入団など、当時のマスコミは清原を未来の球界の4番と持ち上げまくった。

しかし、調子が悪くなると次第にそうした早熟の天才を冷たく扱うのがマスコミの常で今の清原がどうなったかは周知の通りである。

五輪サッカーで言えばである。綱本将也出世作である「U-31」を読めばわかるであろうが城彰二前園真聖がモデルになった河野敦彦に対して「宝物の扱い方がわからなかった」とあって、若さから才能を持て余す河野を持ち上げるだけ持ち上げて失敗したら一斉に手のひらを返したマスコミのやり方を問題視する作品もあった。

しかし日本サッカー界もプロができて四半世紀。マスコミもこうした過去の失敗から未来のの宝物の扱い方を学ぶ時期に来ている。

久保建英という天才は前述の選手たちとは違うのはわかっている。怪我だからこそ過去の失敗をマスコミには繰り返してもらいたくはないのである。