私的スポーツビジネス論 45 一人前のサポーターになりたい
自分はこういうブログを書いていたのでわかるかもしれないが、もともとスポーツビジネスの世界で働きたいと思っていた人間である。
そのために非人道的な日本の受験教育に耐えて、そこそこの大学に進学するも、当時はスポーツの世界で働くには体育大学に進学して、体育の先生になるくらいしか選択肢のない時代であったし、経済学部の自分はゼミの教授に相談してもまともに取り合ってもらえなかった。
だから自分としては日本の教育というものを信用していないし、日本にある大学のスポーツビジネス学科というのはほとんど大学が子供から金を得るための手段でしかないと考えていい。日本人があれだけ英語を勉強してもほとんどの人が英語を喋れないというのに教育界は責任を取っていないと同じで、スポーツビジネスもそもそもスポーツチームの雇用というのはほとんどが親会社の天下りか縁故採用で大学のスポーツビジネス学科から就職できる人間はほとんどいないからである。スポーツビジネス学科は生徒を入れるだけ入れて就職のケアをしていない。責任放棄である。
のっけから話が脱線してしまった。筆者自身日本の教育という世界には幻滅している。結局のところ自分自身自虐的になるわけではないのであるがスポーツビジネスという世界に挫折した人間である。
そのうえでこのブログというのもそうした挫折したスポーツビジネスという世界に対して昇華したいという欲求の表れであるように感じる。
前にもこのブログで書いたことであるが、今自分はスポーツビジネスの世界の中で働きたいとは思わない。スポーツビジネスという世界はとにかく魑魅魍魎の世界である。自分みたいな人間がやっていける世界ではないのは重々承知であるし、大学のスポーツビジネス学科の人間がすぐできる世界でもないのである。
そうした中で今自分自身が何をやりたいのか問えば、一人前のサッカーファン・バスケットファンになりたいという思いだけである。
最初スポーツ選手になりたいと考え、トレーナー・通訳・球団職員を目指すもどれもうまくいかなかった。人生のタイムリミットもある。そうした中で最後に残されたものが最終的に一人前のファンになろうという考え方である。
まず一社会人として職務を全うするのが大前提として、そこで家事などもしつつ、限られた時間をやりくりして、スポーツ観戦を楽しむ。当たり前のことであるがそれを全うするのも、簡単なようで意外に難しい。
よく自分のブログに書くことであるが、勝った時に機嫌がいいだけでなく、負けた時にも善意で働いているボラスタや相手サポーターにしっかりお礼を言えるファンになりたい。試合に負けたからって暴徒化するなんてもってのほかである。
自分はスポーツの世界で挫折した人間であるがだからこそ今はしっかり一人前のサポーターになりたいと考えている次第である。