サッカー&バスケビジネスのブログ

サッカー(ジェフ)やバスケット(SR渋谷)、スポーツビジネスについてのブログ

私的スポーツビジネス論 30 みんな競争社会で生きている。

私事で恐縮であるが、先日知人の障害者がいる支援センターに行く機会があった。

そこで、30代の男性障害者がいた。そこで障害者2人と私の3人で仕事について話すことになる。

その男性障害者は働くのが嫌だと言っていた。自分は競争社会に臨んで身を置きたくているわけではない。競争なんてしたくないんだ、という。

その彼の前にある机には彼自身が飲んでいると思われるレモンスカッシュがあった。

自分は「あなたは競争社会が嫌だと言っているが、その机にあるレモンスカッシュも飲料水メーカーの熾烈な商品開発競争の末に生き残った商品なのである。あなたが競争社会が嫌だというなら、飲める液体というのは水以外なくなってしまう。競争社会を嫌がっていても実はみな競争社会の恩恵にあずかっていることも忘れてはいけない」といった。

筆者自身も働けなかった時期も長くあったし(今はフルタイムの仕事をしている)、働けないだけでその人が駄目であるとは思わない。

しかし前述の障害者の知り合いの会社でも支店同士の障害者社員の競争や比較はざらにあるという。障碍者従業員でも安穏としていられないのだ。

こうした事例を見て、自分自身言いたいこととしては、この日本に住んでいる人間は老若男女、健常者であれ障害者であれ、日本出身だろうが外国出身だろうが、みな競争原理の渦の中に生きているという事実に変わりはないのである。

働けない人が駄目だなんて全く思わないが、働けないままでいいというのも違う気がする。労働に関してこういうところが一種の禅問答のように感じる今日この頃である。

翻って芸事、筆者自身がかかわっているスポーツビジネスというのは、比較にならないくらい厳しい競争原理の中で強い気持ちをもって戦わないといけない世界である。

よくアイドルの世界も、学校一のマドンナクラスの女の子が芸能界の世界では、いやな言葉であるが「お前の代わりなんていくらでもいる」という意味で、色々な人間から値踏みをされている世界である。

スポーツ選手も同様である。県で一番の神童とうたわれたスポーツ万能の中学生や高校生がサッカーをやってみると、自分よりすごい選手なんて山ほどいるという厳しい現実に打ちのめされるという話はよく聞く。

そうした超絶的な身体能力を持ったサッカーエリートがピッチという世界では様々な人種が跋扈する中で、限られた選手生命を切り売りして自分の商品価値を高めようと、常に競争をしている。

筆者自身バスケットも見ているが、日本代表の外国出身の帰化枠もニック・ファジーカスとライアン・ロシターで競争されている。あれだけ絶対的なファジーカスでさえ、安穏とはしていられないのだ。

筆者自身も競争社会の中で生きている。確かに競争なんてしないでまったり仙人のように生きていたい。筆者自身もそうできるならそうしたい。

しかし現実にはどういう立場の人間でも今の世界で生きる以上、競争原理の枠からは出ることはできないのである。

今の時代、競争の資本主義社会の行き詰まり指摘する人は多い。しかし筆者自身も競争原理主義を歓迎する気は毛頭ないが、こうした社会で生きる以上そうした厳しい環境の中で切磋琢磨していくしかないのだ。