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私的スポーツビジネス論 41 タトゥー問題を考える

少し前の話になるのだが、ボクシングの世界戦で井岡一翔がかなり大きいタトゥーを彫って、JBCから処分が下るという話があった。

個人的な話をすれば、自分はもうボクシングから足を洗った人間であるし、試合と関係ない場外乱闘のような醜聞には興味もないのだが、世間が防衛戦の結果以上にこのネタに食いついているので、少し考えてみることにした。

もともとボクシングというスポーツは悪い意味でスポーツではないと筆者は考えている。

というのも、ボクシングという世界はそもそも暴走族や元ヤクザみたいな選手も普通にいるし(逆に東大医学部に在籍していたボクサーもいる)、プロになるためのハードルも野球やサッカー・ゴルフ等に比べればかなり低い競技なので、もっと言えばちょっと練習すれば元甲子園球児クラスならプロの4回戦にはなれるので、そうなるとボクシングには普通の競技には居ないような輩もいる。

さて、そこを踏まえたうえでのタトゥーの話だが、筆者も一時期狂ったようにボクシングを後楽園ホールや海外まで試合観戦しに行った身である。当然今回のようなタトゥーを入れたボクサーというのも沢山見てきた。

そうしたタトゥーの入ったボクサーにも色々でてくる。こうした選手は大まかに二つのグループに分けることができる。

一つ目はタトゥーというのが、そもそも裏社会のイメージのない民族の選手である。ボクシングで言えばフィリピンやタイ・アメリカの選手がそういったタトゥーを入れていて普通に試合をしていて、何の問題もなく祖国へ帰っていった。

たまに海外から呼ばれた選手に全身タトゥーの選手もいるが(意外と関係者もタトゥー有無までは把握できていない。リングで重要なのは実力や相性であって、タトゥーの有無ではない)、こうした選手はとりあえず試合をした後、次回からは来日禁止処分にするケースが多い。

よくアメリカ人の若者が彼女の名前をタトゥーにして、その後こっぴどい別れ方をするというのはよく聞くが、良くも悪くもタトゥーをファッションの一部にしか考えていない人たちの価値観である。

またボクシングではないものの、2019年のラグビーW杯で南太平洋のラガーマンというのは裏社会と関わりがなくてもタトゥーを入れていたし、彼らのタトゥーはそういうものだと思われていた(と筆者は考えている)。

二つ目はいわゆる「昔はやんちゃをしていました」系の選手である。言葉を換えれば「若気の至り」でタトゥーを入れた選手である。

井岡一翔に限らず日本国内の選手はどちらかというと後者の選手が多い気がする。タトゥーを入れて許されること存在にはなっても愛される存在にはならないのが、基本的にはこの国のタトゥーに対する捉え方である。

要は今回のタトゥー問題は日本のボクシング界がタトゥーというものを民族的な伝統とするか裏社会との関わりの象徴と捉えるのかを曖昧にしたまま世界戦にまで行ってしまって、それがこうした騒動になってしまった感はある。

ただ矛盾をするような言い方をしてなんだが、日本国内でもタトゥーを入れたボクサーが必ずしも全員裏社会の人間とは限らないのも事実。文字通り前述の単なる若気の至りに過ぎない選手のほうが圧倒的に多い。

ただボクシング界も一時期ダーティーなイメージがあったのも事実なので、そうしたネガティヴなものを少しでも排除したいという意思がJBCの処分になるならないという話になった部分もある。

今回は筆者の本来のテーマではないボクシングの話になったわけであるが、個人的には井岡一翔が裏社会とどうのこうのというよりは、日本のボクシング界というのがタトゥーというものの在り方をどう捉えるかというのをうやむやにし続けていたのが、こうした紛糾という形になって出てきた気がする。

筆者自身ボクシングから身を引いたので、これ以上どうこう思うこともないのであるが、ボクシング界もいい加減こうした試合以外の揉め事ではなく、ファイトの部分で、日本人の耳目を集めるようになってもらいたい次第である。