私的籠球論 17 バスケ文化が国に根差すということ
あれはコロナウイルスが蔓延する前のBリーグでのSR渋谷の試合でのことであった。
ハーフタイムにフリースローチャレンジという企画があり、観客から選ばれた一人にフィリピン人の中年男性がいた。
その前の日本人サラリーマンがフリースローがエアボールになっていたのだが、フィリピン人のフリースローがハーフウェイラインから綺麗な弧を描いてゴールに吸い込まれた。
おそらくこのフリースローの成功というのはまぐれではない。このフィリピン人の実力であると思う。
筆者もこのブログで何度か述べていることであるがボクサー時代にフィリピンに何度か練習に行ったことがある。
フィリピンという国はアメリカの植民地の影響も受けて、近隣国はサッカー大好きな国ばかりなのに、フィリピンだけは国技はサッカーではなくバスケなのであった。
筆者自身そうした国に短期間滞在していたのでわかるのだが、フィリピンには町のいたるところで、バスケコートが存在し、若者が3オン3の試合に興じているのである。
そうしているので、バスケ・フィリピン代表という競技の注目度も国内では段違いで、国民の一人一人がバスケに関して一家言を持っているような国なのである。
だから国全体のバスケ偏差値が高いところがフィリピンにはある。
そうした中で日本である。日本にも2016年に統一プロバスケリーグが生まれた。
注目度も少しずつではあるが出てくるようになり、富樫や八村の名前もメディアに出るようになってきた感もある。
でも筆者自身がまだバスケ観戦をするようになって6シーズン目で、ルールもまだ把握できていないど素人なのに言えた立場でもないのだが、日本が前述のフィリピンのようなバスケ文化が根差した国であるのかといえばまだまだな気がする。正直そうした国の10分の1にも到達して居ないような気がすらする。
今メディアで八村八村というがメディア自身が八村が何番の選手でどういったプレースタイルを持ってコート上で戦っているのか理解をしているようには見えないし、メディア自身バスケに限った話ではないが、選手に敬意を払った報道をしているようには到底見えない。
バスケに限った話ではないが、日本のスポーツ界も東京五輪の後どういうスポーツ文化をしていきたいのか?というのが、何の競技でもそうだがぼやけて見えている気がする。
筆者自身ボクシング界と縁を切って今は冬はバスケ観戦に興じているのだが、国にスポーツ文化が根差すというのは結局どうやって観客の目が肥えるか、ということである。
筆者自身このブログを書いた後、Jリーグの試合を観戦しに行くのであるが、サッカーという世界もファンが成熟するのに20年はかかった。バスケでも他の競技でも見る側の目が成熟し国に新たなスポーツ文化が根差すには、それだけの長い歳月が必要なのである。
プロスポーツにお金が必要なのももちろんなのだが、大切なのは「時間」である。