私的スポーツビジネス論 39 引退
日本のメジャースポーツである野球やサッカーといった競技も秋が深まり、シーズンが終わりそうになるたびに、様々なニュースが舞い込んでくる。そう。戦力外通告や契約満了・契約更改といった去就にまつわる話である。
筆者自身プロ野球というのは熱心に見ている人間ではないので、表面的なことしかわからないのだが、こうした去就の話が聞こえてくるたびに、スポーツビジネスという世界は憧れだけではできない、とんでもなく厳しい世界なのだなと痛感する。
先日読んだプロ野球漫画で「完全燃焼して一切の悔いもなく引退できる選手なんてほんの一握りだもんなぁ…」と言っていたスカウトがいたが、三顧の礼で取ってきた選手を自分の手で首切りし、選手自身は「まだ俺の競技人生は終わっちゃいないんだ。まだやれるんだ」と本人は思っていても、実際には雇うチームが現れず、泣く泣く引退する選手というがいかに多いのかというのを、この厄年を超えた今、しみじみと考えてしまう。
今回は筆者がかつてやっていたプロボクシングの話をしたいのだが、かつて自分が通っていたボクシングジムで才能の塊のようなボクサーがいた。
その選手は重量級で自分より少し年齢も上にあって、人柄もよく誰からも慕われていた。実際のボクシングの腕前も相当なもので、そのボクサーが練習生とスパーリングした際、ボディフックか脇腹にもろに決まり、その練習生は悶絶し、肋骨骨折。担架で病院送りになった姿を今でもよく覚えている。
ジムの期待を一身に受け、そのボクサーは新人王になって日本ランキングに名を連ねるのは確実だとまで言われていた。
しかしそのボクサーはボクシングを突如やめた。家庭の事情でボクシングを辞めざるを得なくなり、結局介護の仕事に就いたとやめる前のあいさつで言っていた。
家庭の都合でボクシングをやめた才能の塊のようなボクサーというのは、今までたくさん見てきたが、その時二十歳そこそこの自分にとっては、自分が辞めるわけではないのに、社会や世の中に対する理不尽さというのを痛烈に感じるをそのボクサーの引退でひときわ感じた。
そうした中で何の才能もない自分というのは、最後の最後までヘタレな選手であったが、怪我無く最後の最後までボクシングに完全燃焼できたというのは、いかに幸せであるかというのを感じる今日この頃である。
話を最初のスカウトの話に戻すが、野球やサッカーというのはどれだけ才能があっても、監督やフロントの意向でチーム編成が変わってしまったら、容赦なく戦力外通告が出るのが普通である。まさに諸行無常の世界である。
だから筆者自身何の競技でもいえることであるが、アスリートがアスリートでいられる時間というのは、本人が思っている以上に短い。だから爺臭くなってしまうのだが、一日一日大事に生きて全力を出し切って競技生活を全うするように心掛けないといけない。
とはいっても40代の親父の言うことを若い選手が聞くとも思わないのだが、終わったときにもっとこうしておけばよかった、と感じるのでは遅いのである。
スポーツ選手に引退の日は必ず来る。その日が来るのは突然でもあるから、日々の練習をしっかりやって競技人生を終わらせてもらいたいものである。
追伸 2020年もコロナの中断期間もありながらもこのブログができたのをうれしく思います。読んでくださった皆さんありがとうございました。2021年は1月9日から11日の三連休のどこかに最初のブログをはじめようと思います。それではよいお年を。