サッカー&バスケビジネスのブログ

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私的スポーツビジネス論 1 「私的審判論」

一昨日の金曜日(2019年5月17日)にJ1の試合でゴールが入ったのにノーゴールとなる、いわゆる「誤審」があった。

 

このニュースに関してはすでにSNS上で拡散されて、当事者の審判には色々議論(つるし上げ?)に遭っているのでここでは具体的な言及をしない。

 

しかしながら、100%に仕事をして当たり前。失敗したら公開処刑。サッカーの審判とはかくも難儀な仕事のように思えてならない。

 

こうした過酷な状況の中でのサッカー審判。サッカーでも他のプロ化したスポーツでも協議そのものに複雑な思惑が絡む上に、多額のマネーが動くスポーツビジネスの中で、現代スポーツの中では清貧思想のようなナイーヴな考えは排除される。

 

サッカーでは基本的に得点を決めることがないゴールキーパーでもW杯ロシア大会でメッシのPK を止めたアイスランドのキーパーはヒーローとなった。

 

だが、審判に日の目をあたるということは基本的にない。機械のように正確な判断をさも当然にこなして、ミスをしたら全人格を否定。サッカーやバスケ以外でもスポーツ観戦で審判に対するファンの態度には何か精神的な胃もたれのような消化不良を感じる。

そうした中での自分にとっての私的な審判論についていくつか述べていきたい。

2018年12月にBリーグ2部(B2)を大田区体育館で観戦したとき、男子のプロの試合で審判の一人が女性だったことに筆者は驚いた。

彼女はバスケにおける一つ一つのプレーに対して、毅然とした態度で選手に対して対応し、とかくマッチョ思想が強いプロスポーツで日本人選手・外国人選手共に彼女のジャッジメントを尊重する態度を見せていた。

その一方で2018年9月にJ3静岡ダービー(沼津VS藤枝)を見ていたとき、その試合をさばいていた線審の笛や旗のやりとりに迷いというか曖昧な動きが散見した。

 

別に自分はどちらのファンでもないので利害関係はないが、線審自身に自信を持ったジャッジメントをしてほしいと思う。

 

こうした異なる競技の審判を見て感じるのは、審判とは年齢・性別問わず一番重要なのは自信を持った毅然とした態度だということを痛感した。

 

筆者自身はJ2のジェフ千葉のサポであるが、誤審で忘れられないのは、2017年のJ1昇格プレーオフでもある。(名古屋VS千葉)で主審がハンドを見過ごして、プレーが切れたときに失点。試合もジェフが負ける、ということがあった。

 

しかし筆者はその時の主審だった村上伸次氏をうらまない。なぜなら自分がいま彼のようなサッカーの主審の代わりを務まらないからである。

 

スポーツのファンにとって審判というのはある種嫌われる宿命を持った存在でもある。

 

しかしだからこそその競技のことを深く理解しようと思えば、必ず審判という存在へのリスペクトが必要になっていく。

そうしたサッカー(バスケ)ファンの一人一人が意識を高く持ってそれぞれの競技に向き合っていけるようになれば、この国のスポーツ文化というのは、急速に水準が向上するに違いない。