サッカー&バスケビジネスのブログ

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私的スポーツビジネス論 53 スポーツ漫画は立ち行かない時代

前回のスポーツ漫画は妄想の産物に通じる話でもあるのであるが、今の時代スポーツ漫画というのはもううまくいかない時代になりつつああるように感じる。

というのも2010年代にデビューしてうまくいったスポーツ漫画というのはアオアシ小林有吾バトルスタディーズなきぼくろくらいであろう。

今の時代に地盤を確立している漫画というのはその9割方が2000年代にデビューした漫画家であって、2010年代というのはある意味において漫画が小説のように文化の中心から滑り落ちたような斜陽の時代の始まりになった時代のように感じる。

スポーツ漫画というのは見る試合すべてが球史に残るような激闘のように思われるかもしれないが、実際のスポーツの試合というのは野球で言えば残塁12、与えた四死球8といったストライクが入らない投手の試合ぶち壊しみたいな凡戦や、サッカーで言えば両軍合わせて総シュート数が4つしかないような俺の週末返せっ!と叫びたくなるような変な試合も多くある。

しかしスポーツ漫画を描いていきたいならば、そうした凡戦というのも見ていかないといけない。

とにかくそんな凡戦の中にもその競技の本質のようなスポーツ漫画のにとって重要なエッセンスを抽出するような試合というのが出てくるのである。

そうした野球部やサッカー部のマネージャーの手伝いのような仕事をしながら漫画のプロアシスタントをして限られた自由な時間を使って自分の作品を執筆。

そうした努力を3年間続けていざデビューだ、自分の漫画を描こうとおもって始めてみたら最初の読者アンケートでわずか3週間で打ち切りが決定してしまう、ということがざらにある。というよりも2010年代のスポーツ漫画のほとんどはそうした運命をたどることになり、結果として今の漫画界の主流はファンタジー漫画家異性のご都合主義の恋愛漫画の二極化が進むことになり、スポーツ漫画というのは絶滅危惧種になっていくのである。

最近の漫画アニメを見ていくと1990年代のリバイバル作品に終始している。確かにこうした作品は名作であるし、筆者自身もこうした作品や作者に敬意を払っている。

しかしそうした作品と今現在の漫画の必要性の有無というのは別問題であり、今は今で何かしらのクリエイティヴな作品というのは必要ある。

そうした努力もせずに漫画の出版社は我慢ができない我慢ができないと童貞の中学生みたいなことを言って、そのくせ他人には芸事には辛抱が必要だとのたまう。我慢が必要なのは出版社側である。

今の時代SNSやネット動画で無料のコンテンツが氾濫して金を出して漫画を買うというのが時代遅れになってきている感がある。

そうした時代に時間がかかるスポーツ漫画というのは立ち行かない時代になっているのは明白である。

しかしだからこそそうした時代だからこそ新時代を象徴するような新たな価値観のスポーツ漫画が生まれてきてもらいたいものである。