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私的蹴球論 39 サッカー監督の脱亜入欧コミュニケーション論

冒頭のタイトルに関してなんぞやと思うこともあるだろうが、とりあえずご清聴願いたい。

筆者は10代のころから外国語を勉強していて今でもやっている。日本人の場合英語を勉強するのに聞き流して発音だけできれば何とかなると考えている錯覚を起こす人は多いが、外国語でコミュニケーションをするというのは、そんな表面的なことではない。

外国語を学習するというのは考えてみれば、外国のカルチャーををそのまま受け入れて、自分の頭の中に咀嚼するということである。上から目線で恐縮であるが、そうしたことがわかっていない日本人は本当に多い。

今回はヨーロッパ人サッカー監督がアジアの文化をどう受け入れて、その文化を変えてきたかについて考えていきたい。

まず日本人についてであるが、日韓W杯の時のフランス人監督のフィリップ・トルシエがいる。

トルシエという監督はいわゆる日本人的なオブラートに言葉を包んで表現するということが自分の頭の中にない男である。

とにかく頭の中に思ったことをはっきり言う。よく言えば率直。悪く言えば無神経。相手に嫌われる、傷つくなんて関係ない。遠慮なくモノをいう。

そうした中でトルシエを招聘した当初は日本サッカー協会も気を遣って遠回しな日本人特有の婉曲な表現に終始していた。

しかしトルシエははっきりモノを言うのをやめない。そうした中で協会幹部もついに堪忍袋の緒が切れて、率直にトルシエに関してどんどん意見を言うようになった。

するとトルシエは嫌な顔一つせず、むしろすっきりした表情で「ようやく日本人も自分に本音を語ってくれてうれしいよ」と喜んでくれたという。

同じような日本とヨーロッパの表現方法の違いというのはオシム監督がいた旧ユーゴスラビアでも同様なことがあり、オシム監督の猛練習に選手が悲鳴を上げて主将が練習量を減らしてくれと頼んだら、オシム監督は「お前が監督だったらそうすればいい」と何の配慮もない発言をして日本人選手を驚かせたという。

こうしたヨーロッパとアジアの文化の違いを壊したのは日韓W杯の時の韓国代表監督のフース・ヒディングもそうである。

ヒディングが韓国代表の練習を見ていて、韓国語特有のやたら年長者を敬う遠回しな敬語をプレーの間に使っているのに気が付いた。

一瞬一瞬のの判断のスピードが要求されるサッカーでまどろっこしい敬語を使って時間を浪費するのは愚の骨頂だとヨーロッパ人のヒディングは考える。

ヒディングはある時ミーティングで「これからチームでは年上年下関係なく言葉は全部簡略化されたパンマル(ため口)で話せ」と命令した。

これは韓国社会にとっては劇薬である。一つでも年上の人間を尊ぶ韓国社会でチームの先輩にパンマルを利くのは無礼千万にもほどがある。しかし監督はオランダ人のヒディング。若手選手からしたら失礼を承知でも先輩にパンマルを利くしかない。

仕方なくある若手選手が先輩にパンマルで話しかけた。当然先輩はキレだす。しかし若手は監督がそういっているからそうするしかないと引かない。

こうした韓国の儒教社会特有の縦社会を壊すのにもヒディングは苦労したという。

今回はヨーロッパ人のサッカー監督がアジアで仕事をするときにアジアでは常識的なその国特有のローカルルールが存在し、それがサッカーでの勝利に対する阻害要因になるときもあるので、時には相手国の異文化コミュニケーションとして自分の価値観を押し通す必要もあるのだ。

外国語を学んだりすることが多い自分であるが、こうしたサッカー監督の異文化コミュニケーション論を見るたびに、外国を知るというのは単に言葉を知るだけではなく、その国の文化を受け入れる必要もあるのだなとつくづく感じる昨今である。