サッカー&バスケビジネスのブログ

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私的籠球論 16 井上雄彦と森川ジョージ 「成功と失敗」

冒頭のタイトルを見てなんのこっちゃと思うかもしれないが、とりあえず最後まで読んでほしい。

筆者は今こうやってサッカーとバスケのブログを書いているのだが,もともとはボクシングにバカはまりしていて、筆者自身当時の自分のことを「ボクシング教原理主義者」と呼ぶ時期もあった。

そうまでしてボクシングのはまっていたのは、森川ジョージの「はじめの一歩」という作品に触れたからである。

正直1990年代のはじめの一歩は掛け値なしの名作であった。筆者自身ボクシングがすべてであった時期も長く、一歩のライバルである宮田一郎が行ったタイ、フィリピン、韓国は皆実際に行った。

そうまでしていったボクシング。いわゆる若者が謳歌すべき青春の快楽を投げ捨てて、身も心もささげたボクシング。連載が始まって10年間の初めの一歩は最高に面白かった。

しかしそのあと成功というのはここまで人を堕落させるものかというのを実感させられた。

時間が進むにしたがって森川ジョージの漫画には奢りや慢心の要素が大きくなり、最初のころにあった謙虚さが消えうせ、単なる不愉快ないたずら書きへとなり下がっていた。ネット上での怒りは強いものなっている。

そして今のはじめの一歩はアガサ・クリスティーではないが「そして誰もいなくなった」状態になった。

翻って井上雄彦である。おそらくSLAM DUNKを越えるスポーツ漫画は出てこないと思う。当時バスケットと全くかかわりのない筆者でも湘北バスケ部の存在というのは絶対的であった。

繰り返すが筆者自身、当時格闘技路線に走ったのでバスケットのことは基本的に知らない。

しかしSLAM DUNK のあの終わり方というのは衝撃的で、ある意味社会現象のような状況であった。それに匹敵する漫画発の社会現象はドカベンで明訓高校が弁慶高校に負けて時くらいではないか、と思う。

しかしSLAM DUNKの連載が終わって20年以上たつのだが、90年代の貯金をだらだら使いつぶして惰性のような漫画を描いている森川ジョージより、あの時SLAM DUNKを強制終了して湘北バスケ部のひと夏の伝説を強引にでも完結させた井上雄彦のほうが、結果的に正しかったのではないか、と思う。

よく最近見る漫画の記事に、SLAM DUNKの続編が見たいという記事があるが、筆者自身そういった気持ちもよくわかるのであるが、森川ジョージのようにダラダラ続けた中身のない作品で晩節を汚している事実も知っているので、SLAM DUNKはあの状態で終わったから名作になったんだと強く言いたい。

繰り返すようだが、SLAM DUNKのように湘北vs山王のように瞬間的に膨大な熱量をあの1試合で消費し尽して、矢吹ジョーではないが真っ白に燃え尽きたがゆえにSLAM DUNKは名作になったと思っている。

もしSLAM DUNKに続編が出てきたら、筆者自身あの作品が不朽の名作だからこそ、あそこで終わっててもらいたいと思ってしまう。

SLAM DUNKの続編に関しては個人の価値観の問題であって正解はないし、結局のところ井上雄彦が書きたいと言えば書くしかない問題でもある。

しかし個人的な価値観でいえばSLAM DUNKはあの終わり方はショックでもあったけど最高な幕切れであった。