サッカー&バスケビジネスのブログ

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私的スポーツビジネス論 25 令和のアスリート移民問題

今回のテーマはデリケートな問題である。それを認識して読む側も読んでほしいし、筆者としても書く側として考えて書きたい。

そうした今回のテーマであるが、先日読んだ名作サッカー漫画「アオアシ」で主人公の対戦相手である高校生のハーフのサッカー選手がいた。

その選手は生まれながらにして肌の色の違いから以前は(主人公のチームとは全く別の)対戦相手に人種差別に近い扱いを受けるも、チームメイトの理解を得られて逆境を克服しゴールを量産するという話であった。

あまり話を続ければネタバレになるのでこのくらいにしておくが、この話で考えさせられることがある。

このブログを書く前に近所の立ち食いソバ屋で夕食を食べに行ったのだが、そこのベトナム人店員と筆者が今勉強しているベトナム語で会話をする。

そうしたらそのベトナム人に自分が中国人かと逆質問された。

筆者自身家族全員バリバリの日本人であることを告げてその会話は終わったが、この時筆者は日本という国が今ほどグローバル化が進んだと痛感させられた。

いや今回の件に限らず、令和に入った今の時代ほど日本のグローバル化を感じる時代もないように思える。

筆者もこのブログで何度も書いていることであるが、筆者が生まれた1978年生まれというのが170万人であるのだが、第二次ベビーブームの最高潮だった1973年が209万人であった。

しかし今の時代急速な少子化が進んでいる。2016年には100万人の大台を割り込み、2019年には86万人にまで出生数は減少していってしまった。

筆者自身も独身で子供もいない。故にこのブログの読者に産めよ増やせよというつもりはさらさらない。

しかし筆者が20代だったころには日本人のアルバイトもそれこそ掃いて捨てるほどいた。

しかしこの少子化の時代、そうした潤沢な安価の労働力というのは日本にはほとんどいない。今の日本には若者というのはもはやいろいろな意味で少数派になりかけているのである。

どんどん少数派になりかけている若年層。人材を獲得したくてももう元の人間がいないので獲得しようがない日本企業。

そうした中で人材獲得の補完になるのが移民である。

前述のアオアシに出てくる外国出身選手は片方の親が日本人であるので、厳密には日本人出るのだろうし、筆者自身も日本人という存在がすべて黄色人種である時代ではないのかもしれないと考えている。

問題はそこではなく、日本人はこれからどうやって移民や外国をルーツにしている国民受け入れていかないかということである。

何度も繰り返すことであるが日本は急速な少子化である。脱線するがその原因は今の親世代には払いきれない高額な授業料にある。だがここが是正されないと少子化対策は単なる小手先の対処に過ぎなくなる。

問題はこれからもっと加速していくであろう少子化に対応する術が今の日本にはないということである。それは一般の仕事でもそうであるし、アスリートの世界も同じだ。もはや好む好まない関わらず移民は受け入れないとやっていけない状況にある。

しかし国という概念において肌の色や宗教がそれほど大切か?という話だ。

筆者自身普通のゆるい仏教徒ゆるいだが(とっくに振られたが)クリスチャンの彼女がいたこともあるし、今の時代は15組に1組は国際結婚であるというから、肌の色の違いで差別するというのも時代錯誤なことなのかもしれない。

確かに2006年のワールドカップでフランス代表のジダンが人種差別発言に腹を立てて頭突きをしたというのはあまりに有名である。しかしそれからもう14年の歳月がたっているのである。アスリートの移民問題も次のフェーズに入る必要がある。

さきほどこのブログでベトナム人ベトナム語で会話をしたという話をしたが、ベトナム語に限らず他の言語もそうだが、外国語を覚えて異文化を習得するというのは地味で単調な努力が必要だ。たいていの人間はそれができずにヘイトスピーチに走る。

しかし筆者は最後に尊敬するサッカー元日本代表監督イビチャ・オシムの言葉で締めたい。

「(サッカーの世界も試合を壊すつまらない試合が主流になっていることについて)家も建てるのには時間がかかるが、壊すのは一瞬。しかし何かを構築する人生のほうが充実しているでしょう」